『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~13
しかし私は、『正しく生きる』をテキストにした前述した勉強会に出席する中で、上記の表現には踏み込みが足らないと強く感じるようになっていた。実態は「瓜二つ」どころか、馨氏と修一氏は「ひとつの瓜」ではなかったのかと考えるようになったのだ。そう考えると、修一氏の前述の発言「(父・馨氏と)東日電の勉強会で一緒に勉強し、会社のことも一緒に考えてきたから、自然と(父・馨氏と)同じ考えになった」は、私には腑に落ちるものであった。同時に、ケーズデンキの実質的な創業者は馨氏ひとりではなく修一氏も加えた2人と理解したほうが理に適っているのではないか、と思ったのだった。つまり、私のそれまでの疑問は見当違いだったことになる。
創業社長から二代目社長へのバトンタッチを、私はあまりにも固定的に考えすぎていたというか、すでに自分で前提を創り上げてそれに囚われていたのである。創業者が創り上げた経営理念や創業(者)精神の引き継ぎの有無に拘りすぎる、悪くいえば、それを法律のような守らねばならないルールと見なしていたのだ。私が犯した過ちは、変化する社会にあって企業の現実の姿を柔軟に判断するのではなく、六法全書を片手に何事も理解しようとしたことである。
私が『正しく生きる』で踏み込めなかった結論は、ケーズデンキで創業(者)精神を創り上げ、経営理念を完成させたのは先代・馨氏と二代目の修一氏の2人である、というものだ。その意味では、馨氏と修一氏の2人がケースデンキの創業経営者であるといえるであろう。
終わりにかえて
企業の健全な発展には、創業(者)精神や経営理念などが継承されていくことはきわめて重要である。それらは、企業カルチャー(企業風土)を醸成することによって、社員をその企業に相応しい人材に育成するからである。しかし企業が発展するにつれ、つまり組織が大きくなっていくと創業(者)精神や経営理念を言葉でしか知らない社員が増え、企業カルチャーも変質してしまうリスクが高まる。そのまま放置していたら、企業はとんでもない方向へ歩み出したり、悪くすれば、法を犯すような事業にも手を出しかねないようになる。一時的な繁栄を得たとしても、最終的には社会から見放され、衰退の一途を辿ることになる。
ケーズデンキの場合は、たしかに希有な例ではあるが、いまだ創業者のひとりが健在の間に多くの社員が直接対話することで、創業(者)精神や経営理念が指し示す正しい道を学んで欲しいと祈念せずにはいられない。
なお、今回の『正しく生きる』の取材と執筆を通して、過去の数多のサンプルに自分の知識を埋没させて見たいものしか見なくなってしまっていたことに気づかされ、猛省する機会を与えられたことに感謝するとともに、今後もケーズデンキの経営の神髄を学び続けたいと改めて思った。
これからも私は、ケーズデンキを創業した2人の経営者の考えや生き方を納得できるまで勉強し続けるつもりだ。そのためには、まず何よりも柔軟な思考を持ち続けることを心がけたい。機会があれば、『正しく生きる』の続編を書いてみようかと考えている。
(完)