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『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~13 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~13

 しかし私は、『正しく生きる』をテキストにした前述した勉強会に出席する中で、上記の表現には踏み込みが足らないと強く感じるようになっていた。実態は「瓜二つ」どころか、馨氏と修一氏は「ひとつの瓜」ではなかったのかと考えるようになったのだ。そう考えると、修一氏の前述の発言「(父・馨氏と)東日電の勉強会で一…
『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~12 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~12

 そこで私は『正しく生きる』では、子会社化した翌日、つまり加藤修一氏がよつば電機の新社長に就任した当日にボーナスを支払ったこと、さらにその金額が「満額」だったことを改めて強調したうえでこう指摘した。 《よつば電機の経営悪化はひとえに経営者の怠慢からであって、社員にはいかなる責任もないという加藤からの…
『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~11 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~11

それでも私は、完全に納得できたわけではなかった。  というのも、長年の取材経験から「創業(者)精神」や「企業理念」、「経営理念」といった企業の目指すべき姿や方向性などは、創業者だけが創り出せるものだと確信してきたからだ。そして二代目社長以下が、創業者が創り出した「経営理念」等を引き継ぐとともにそれら…
『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~10 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~10

第四章 創業者と二代目社長  私は『「がんばらない」経営』を上梓したあとも、ケーズデンキの経営で気になっていたというか、いまひとつ分からないことがあった。それは、二代目社長の加藤修一氏が父でもある創業社長の馨氏の「創業精神」や「経営理念」をどのように引き継ぎ、そしてそれを自分のものにしていったか、つ…
『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~9 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~9

 水戸街道に戻ってさらに30分以上東京に向かって歩くと、加藤馨氏の最後の職場となった「陸軍電波兵器練習部」(当時は長岡村、現・茨城町)があった場所に辿り着けるが、これからの取材日程を考えて無理をせずに次の機会を利用することにした。  5月中旬のある日、私は4月に断念した電波兵器練習部跡を改めて訪ねる…
『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~8 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~8

 翌日、JR水戸駅から徒歩で常照寺に向かい、常照寺を起点に航空通信学校への通勤ルートを辿ってみることにした。そのためには、加藤馨氏が通勤に利用したと考えられる水戸街道へ出なければならなかった。  茶室のある離れから裏通りに出て水戸駅に向かって少し戻ると、左手に中沢池公園が見える。その公園の角を左折し…
『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~7 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~7

 千木良の次に私は、水戸の加藤馨氏縁の土地や場所を訪れることにした。 4月下旬、まず私が向かったのは、馨氏が航空通信学校の教官を務めていた時の下宿先「常照寺」である。まだ水戸市内の地理に不慣れだったこともあって、私はJR水戸駅からタクシーを利用した。そのさい、私は行き先を「常照寺正面入り口」と運転手…
『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~6 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~6

 千木良を歩くといっても、目的もなしに場当たり的に歩いたわけではない。千木良のバス停からまず加藤馨氏の生家を目指した。生家はバス停からそう離れていなかった。そこで生家を起点にして、加藤氏と縁のある土地や場所を訪ねることにしたのだ。  まず最初に、加藤家の菩提寺「善勝寺」を訪ねた。生家から徒歩で5~6…
『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~5 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~5

第三章 創業者・加藤馨の縁(ゆかり)の土地を歩く  加藤馨氏の本格的な評伝を書きたいという私の思いは、加藤氏の生前には実現されることはなかった。その理由は、雑務に追われた私の怠慢以外の何物でもなかった。しかしそんな私に、ご子息の加藤修一氏(元ケーズホールディングス会長、現名誉会長)から「創業の精神」…
『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~4 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~4

 創業者・加藤馨氏へのインタビューは、2009(平成21)年10月に2度にわたって行われた。場所は、水戸市柳町の旧根積町本店をリニューアルした加藤氏のオフィスであった。最初のインタビューで加藤氏から受けた印象は、それまで取材してきた創業者や経営トップとはまったく違う異質な、いやむしろ不思議な経営者と…