社員のためになるようにすれば会社は成長する
カトーデンキがNEBA(日本電気大型店協会)に加盟したのは1980年。NEBAが発足したのは1972年ですが、当時のカトーデンキの年商は2億円前後。水戸市城南2丁目に「駅南店」を開店し、チェーン展開を始めたものの、NEBA加盟条件である年商10億円以上をクリアできていないため、声がかかりませんでした。
1980年には、カトーデンキも6店舗を展開。年商も約13億円と家電店としては茨城県で売上トップになっていました。「当時、NEBA加盟は量販店にとって一つの勲章だった」と加藤修一氏は振り返ります。社員も大幅に増えましたが、同時にある問題も生じていました。
退職し独立した社員を憂う
当時の家電店の社員は、5年から10年も働いて販売能力が身につくと退職して、退職金を元手に独立し、自分の店を持つことが目標でした。メーカーも系列店政策を推し進めるうえで、独立を支援していた面もあります。しかし、すでに時代は変わりつつありました。メーカー系列店から混売店に転換し、その後多店舗展開を図って急成長を遂げた量販店が各地で出店攻勢をかけており、独立開業しても簡単に成功できる時代ではなくなっていたのです。
加藤馨社長(当時)は、「昭和30年から54年の間に当社の社員で独立して店舗を出した人は13名になりましたが私の目でみると成功した人はなく、2~3年で閉店したり又は店は経営していてもやっと暮らしていると言う人ばかりでした。これは元社員のやり方が悪いとはいえない面もあります。私が創業した頃とは異なり、小さなパパママ店はお客から見はなされて営業が成り立たない社会情勢に変っていたのでした」と回顧しています。
社員に株主になってもらおう
加藤馨社長は考えます。従業員が会社を辞めて独立してもいいことはない。それなら定年になるまで働いて財産を築けるような会社にしよう。そして設立した会社が「株式会社カトーデンキ販売」です。
1980年8月、加藤馨社長は、全社員(約40名)を集めて説明します。「有限会社カトーデンキを解散して新しくカトーデンキ販売株式会社を設立し、社員も役員も『株主』として会社の株式という財産を持ち、定年になるまで会社で働けるようにしようではないか」。とはいえ、社員に元手がなければ出資できません。そこで、それまでの有限会社カトーデンキを解散し、従業員を全員8月末で退職してもらい、勤務年数1年につき1ヶ月分の退職金を支払うこととします。そのうえで、「退職金の中から希望する金額を投資してもらいたい」と説明したところ、「1人の反対者もなく全員賛成で社員の皆さんはみんな大喜びでした」。
集まった従業員の出資金は1125万円。これと同額を創業家である加藤家が出資し、持ち株比率を半々にして、1980年9月22日にカトーデンキ販売株式会社が設立されました。後に加藤馨社長は、「この年度にカトーデンキの利益が2,100万円あったので、税務署から『こんなに利益のある会社を無償で譲るという法はないから新会社は贈与税を納めろ』と言って来たので困りました。しかし、役員も社員も全部前の会社の者ばかりということで贈与税は免除になり一安心しました」と回想しています。
カトーデンキ販売から毎年配当された分は、増資に回し資本金を増やしていきます。設立時同様、強制はしなかったものの、増資したほうが得だと話したので、従業員への配当金の大部分が増資に回ってきました。あわせて、給与やボーナスの一部を本人の意思で投資に回せるよう社員持ち株会も発足させます。
すると思わぬ効果が出ます。社員が株を持つようになると、利益が倍々ゲームのように増え始め、初年度から大きな利益を生み出したのです。社員一人ひとりがどうしたら会社がもっとうまくいくかを考え、意見を言うようになった結果です。
カトーデンキ販売設立当初は、退職時には5000万円~1億円の資産形成ができればと考えていましたが、会社は成長を続け、上場も果たし、設立当時100万円を出資した社員は10億円以上の資産となり、配当だけで年1600万円ほどになりました。毎月少しずつ積み立てるだけでは、決して手にできない金額です。
後に加藤馨社長は「カトーデンキ販売の設立は、これまで最も大きな決断であり、最良の決断だった」と述懐しています。加藤修一氏もまた、「社員を管理するだけでなく、社員のためになるようにすることが経営のコツであると気がついた。会社の利益ばかりを考えるのではなく、社員のためになることを考えれば、会社はいい方向に動く。悪い方向には動かない」と語っています。「がんばらない経営」の柱の一つである「社員のために」が、信念に昇華されたと言えるでしょう。
「情」だけではない確固たる「合理性」
社員のために――どの企業も同じように口にします。では、ケーズデンキはなにが違うのでしょうか? 従業員持ち株制度も、今ではごくありふれた制度ですが、カトーデンキ販売設立は1980年(昭和55年)です。参考にする事例も少なく、情報も今のように収集できる時代ではありません。加藤馨氏は、東日電(全日本電気大型経営研究会、通称「全日電」の中核であった関東支部。カトーデンキは1968年に加入)で社員の退職金制度の研究を担当したことがあり、その経験が役立ったそうです。知識面だけでなく、退職し独立開業した社員のその後まで気に掛けていたことも加藤馨氏ならではと言えるでしょう。
地域電気店が量販チェーン店になることは、経営の面でも家族経営から企業経営に移行することになります。目をかけてきた社員が退職し独立すれば、裏切られたと考える経営者も少なくありません。しかし、馨氏は、「従業員が長く安心して働けて、定年退職後も安心できれば、中途で退職する必要もなくなる」と考えます。愛情を注ぐ、厳しく指導するなどの「情」だけのアプローチではありません。退職した社員の生活を憂う「情の篤さ」とともに、徹底した「合理性」に基づいた制度で仕組み化しています。
パパママショップと異なり、企業であれば退職金制度は必要です。しかし、毎月少しずつ積み上げるだけでは限界があります。そもそも、業績が良いからと言って、一時金こそ出ても、給与水準が大きく上がるものではありません。そこで社員に「株主」になってもらい、会社の利益から配当を出す。さらにその配当を自社株に投資することで資産が大きくなる――会社が傾かない限り、毎月少しずつ積上げるより資産は大きくなっていきます。利益を配当し、増資に回すことで資本金も大きくなっていきます。
しかも、社員全員に株を買う機会を与えるため、有限会社カトーデンキを解散して退職金を支給し、元手にしてもらっています。ここまで思い切った決断ができる経営者はそうそういないでしょう。単に会社の規模が大きくなったから株式会社に移行したのではなく、社員が株主となる手段として株式会社を設立しているのです。当時の税務署が贈与ではないかと驚いたのも無理ありません。前例のないことだったからです。
加藤馨氏は、「誠実」であることを常に大切にしてきました。取引先に対しても、お客様に対しても、従業員に対しても、大切なのは「誠実」であることです。だからこそ、創業家と社員の持ち株比率もきっちり50:50にしました。一般的には51:49など創業家比率を多少は高くするものですが、これも馨氏の信念です。
社員に対する雇用責任
どうして社員の将来設計を考え、退職後の暮らしぶりまで馨氏は考えたのか。まだ会社が小さかった頃、馨氏は若い社員を採用する際に、その社員の両親のもとへ足を運んで挨拶し、安心してもらうためにどういう会社なのか丁寧に説明したそうです。さらには採用した社員の家庭環境やどのようなに育ったかを知ることで、その人に合う仕事の与え方などを考えていたようです。雇用者として、若い人を預かる責任をしっかり感じていたのでしょう。
多くの会社が、業績が悪ければ採用を控え早期退職を促すなど、社員をコストとみなすような行動をとります。ここは大きな違いです。加藤馨氏の社員に対する誠実な姿勢は、カトーデンキ販売設立の2年後に社長を引き継いだ加藤修一氏に受け継がれ、企業規模が飛躍的に成長してケーズデンキとなってから、「がんばらない経営」として確立されるのです。