『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~1
はじめに
今年(2023年)の3月24日、私は『正しく生きる—ケーズデンキ創業者・加藤馨の生涯』を岩波書店(東京・千代田区一ツ橋)から上梓した。私にとって、初めての本格的な評伝である。しかも私が2021年3月に取材をスタートさせた頃は、わが国でも新型コロナの感染拡大が深刻になっていた。その意味では、私はコロナ禍で取材と執筆を強いられたといえる。そして上梓までの2年間は、初めての本格的な評伝の執筆に試行錯誤、いや悪戦苦闘した日々でもあった。
脱稿したとき、400字詰め原稿用紙で約1000枚(四六判の単行本で約440頁)になっていた。それでも書き足らない、もっと書きたいし書くべきだという強い思いに囚われていた。ただ作品の構成や展開を考えると、さらに加筆することでテーマが散漫になって、作品のクオリティを落とすことだけは避けたかった。
そうしたモヤモヤした私の気持ちは、『正しく生きる』刊行後もしばらく続いた。そのため私は、別の形で書きたかった内容をまとめ、それを発表できないものかと考えるようになっていた。そんな私の考えを後押しするとともに、実現に向けて私の背中を強く押す場面に出くわす。それは、創業者・加藤馨氏の経営理念や創業精神の勉強会の場のことである。
その勉強会は、『正しく生きる』をテキストとしてケーズホールディングス名誉会長の加藤修一氏が行っているもので、ケーズデンキの中堅幹部を対象に、創業者で父でもある加藤馨氏の経営理念や創業精神を学びたいという希望者を募ったものである。
聞くところによると、あまりにも希望者が多かったため数回程度の勉強会開催では終わらないと判断し、1回の定員を15名程度に絞って希望者全員が参加できるようにしたのだという。つまり、勉強会には希望者全員が出席できるようになったのである(すでに20回以上開催されたという)。
私も勉強会に2回ほど招かれ、加藤修一氏の依頼で1時間ほど『正しく生きる』に関連する話をさせていただいた。そのさい、出席者のひとりが私に対し、思わぬ質問をしてきたのだった。
『正しく生きる』に関する彼の疑問は、次のようなものだった。
「(『正しく生きる』本文の)文体が最初の方のページと比べて、途中から変わっているように感じるのですが、(私の)勘違いでしょうか。もし変わってきているなら、それはなぜですか。理由を教えていただけないでしょうか」
そう訊ねられたとき、私は彼の顔を見直すとともに、彼が『正しく生きる』をかなり深く読み込んでいることに軽い感動を覚えたほどであった。そして著者として、これほど嬉しいことはないと思った。
私は彼の質問に対し、率直に答えた。
「文体というか、筆致が変わったのは間違いありません。それは、先代のことを手探りの状態で書き始めたため、どうしても踏み込みすぎてはいけない、間違った記述をしてはいけないという強い思いが先に立ち、堅苦しいというかぎこちない筆致になってしまっていたからです。ただ書き進めながら資料等を読み込んでいくうちに先代の思いや考えが分かるというか、皮膚感覚で『なるほど』と得心できることが増えていきました。そうすると自然に先代の思いを乗せて書き進むことができるようになり、私の筆致も当初の堅苦しさがなくなり、その分、読みやすくなったのではないかと思います。もちろん、私もプロですから、後から文体ないし筆致を統一させることはできます。そうしなかったのは、『正しく生きる』では私も先代の教えを学びながら執筆する、つまり読者のみなさんと同じ立場で学んでいき、創業者精神に触れたい、理解したいと考えたからです。つまり、あえて筆致を統一しないことにしたのです」
彼は私からの説明に満足そうに頷くとともに、笑顔で「分かりました」と言葉を返してきたのだった。
このような体験をしたこともあって、それまで以上に私は『正しく生きる』の執筆意図をより正しく多くの読者に理解していただきたいと思うようになった。それを具体化したものが、本稿の「取材余話」である。
多くの読者の方々が「取材余話」を併読されることで、ケーズデンキ創業者・加藤馨氏の創業者精神や経営哲学の根幹である『正しく生きる』をより深く理解することができるなら、著者として望外の喜びである。