アウトレット店の失敗を振り返る

先日古い社内報や、家電流通史の書籍を広げて調べていたところ、加藤修一氏が資料を見て「そういえばアウトレットセンターってあったね。これを見るまですっかり忘れてた」と笑っていました。アウトレットセンターはいわゆる型落ち商品や在庫処分品を集めた店舗で、カトーデンキでは1993年5月28日に「勝田アウトレットセンター」を一号店としてオープンさせています。

『家電流通再編への挑戦』(日本経済新聞社 1993年9月8日刊行)には、以下のように記述されています。

 500平方メートルほどの売り場は、一見して普通の家電量販店。大型テレビや冷蔵庫、洗濯機などが並んでいるが、いずれも一、二年前に発売された「型遅れ品」だ。初夏だというのにヒーターや電気毛布が売られているのも目を引く。取扱説明書を紛失した商品も、はんぱ物として売られている。値段は四-九割引きと確かに安い。

日経流通新聞 編『家電流通再編への挑戦』(日本経済新聞社)

もともと米国で生まれたアウトレット業態ですが、当時の日本でも安売りの新業態として注目されていたとのこと。主に不良在庫の処分(売れ残り、規格外品など)を目的した店舗ですが、カトーデンキの狙いは少々違ったようです。

 カトーデンキの真の狙いは時流に乗ることではなく、返品をなくし、チェーン全体の低コスト運営を実現することにある。カトーデンキの場合は小売り主導なので厳密に言えば原義からはずれるが、在庫処分という性格は同じ。アウトレットの店頭に並ぶのは、新製品が発売され商品価値が下がった型遅れ品や、冷暖房器具などでシーズン中に売り切れなかったものが大半だ。各店で超安値品として売ることもできる。だが、一カ所に集めた方が顧客に訴える力が強く、集客力が増すと判断し、開店した。

日経流通新聞 編『家電流通再編への挑戦』(日本経済新聞社)

ちなみこのアウトレット店は、新製品を扱う勝田パワフル館に隣接する場所につくられ、アウトレット店で欲しい商品が見つからなかったお客様が隣りの通常店舗をすぐ見に行けるという立地でした。売場面積500平方メートルに従業員数は3人。コスト抑制のため、チラシなどによる宣伝も行わなかったにもかかわらず狙いはズバリ当たり、オープン4日間売上は目標を28%上回る900万円を達成。加藤社長から表彰状が出たと書かれています。同書で、加藤修一社長(当時)は「将来は、チェーン店十店ごとにアウトレットを一つ作るのが目標。将来は小売店側の在庫だけでなく、メーカーの在庫も引き取って販売したい」と語り、真の狙いは「家電業界で常態化した返品をなくし低コスト経営を進めること」としています。

 家電業界で返品が多い原因の一つに、商品サイクルの短さがある。関係者の話では、メーカーが新製品を家電店に売り込む際、それまで店頭に並んでいた製品を引き取ることを条件に新製品を買ってもらうケースが多いという。このほか小売店の販売計画ミス、過剰仕入れ、決算対策での返品も多い。
 実際に返品となると、赤伝票の作成などの事務手続き、物流コスト、売上計画の変更など、メーカー・小売り双方にコスト負担が生じ、経営圧迫の要因になる。メーカーが返品処分のため、小売店に販売促進費という名目でリベートを支払うことも多く、これが通常のリベートを圧縮する要因にもなる。

日経流通新聞 編『家電流通再編への挑戦』(日本経済新聞社)

このような在庫処分に関する商習慣は、現在も構図として大きく変わっていないでしょう。変わったことと言えば、家電量販店の「優越的地位の濫用」が当時より厳しく見られるようになり、無理な要求をしにくくなったこと。しかし、家電市場で6割以上のシェアを占める主要チャネルとして、家電量販店がメーカーの処分補填を「当たり前」ととらえがちな面は否めません。しかし、当時の加藤社長は、それを「リベートで補填されるからよし」とは考えず、メーカーと小売り双方がより良いビジネスをできるよう、自らアウトレット店に乗り出したのです。

アウトレット店については、当時の競合他社からこんな意見も出ていました。「型遅れ品は、チェーン各店で格安価格をつけて売れば立派な目玉商品になる。アウトレットに集めてしまうと各店でそうした売り方ができなくなってしまう」(栄電社 岡島昇一社長 ※当時 後のエイデン、エディオン)。

この書籍は1993年9月に発行されましたが、ほぼ同じ内容の記事が同年6月24日の日経流通新聞に掲載されています。まさにアウトレット店に挑戦したタイミングの記事なので、その当時の思いや熱気が伝わります。10年後に振り返って執筆された記事だったら、もっとさめた視点の記事になっていたことでしょう。そういう意味では非常に貴重な記事です。

1993年6月24日の日本経済流通新聞のカトーデンキ アウトレット店に関する記事 ※本文が読めないよう画像を圧縮しています

当時のカトーデンキが、その後アウトレット店をどの程度展開したのか、研究所では把握しきれていません。しかし、 勝田アウトレットセンター 出店から約2年後、1995年の社内報「ひろば」には、新店として「電器のアウトレットセンター」(茨城県つくば市西郷 売場面積 約150坪)が1995年7月20日にオープンしたと紹介されています。アウトレット店を複数店展開していたことが分かります。

社内報「ひろば」1993年
1993年の社内報「ひろば」。上から2番目に「電器のアウトレットセンター」
(茨城県つくば市)が紹介されている

この当時のカトーデンキは、1991年によつば電器を買収しその立て直しに取り組みながら、1993年の北越デンキを筆頭に翌年には大宮電化、ユーアイ電器をFC化するなど、急速に拡大路線に進んでいました。また、1991年に大店法(大規模小売店舗法)の規制が緩和され、従来の売場面積500平方メートルを超える大型店への移行も始まります。その新型店舗が「パワフル館」で、1992年7月にオープンした「石岡パワフル館」は売場面積約1000平方メートル。バックヤードをなくし大半の在庫を店頭に置くことで従業員の負担を軽減するオペレーションを導入しています。

このようにM&Aや市場環境の変化への対応で様々な取り組みをしていた当時に、アウトレット店も新たな試みの一つとして展開されました。加藤修一氏というと基本「待ち」の姿勢と思われがちですが、市場環境の変化への対応や業界の課題解決には率先して取り組んでいたのです。

家電アウトレットが失敗する理由

しかしながら、アウトレット店はそれほど長く展開されませんでした。「アウトレット店はやっぱり効率が悪かった。各店で売り切る方が手間もコストもかからなかった」と加藤修一氏は振り返り、「でも、早い時期に実験して、うまくいかないと分かったのは良かったよね」と笑います。

実際、アウトレット店は2000年代に入ってからもいろいろな企業がチャレンジします。筆者が業界誌記者だった当時でも、セキド、ビックカメラ、上新電機、ヤマダ電機などがアウトレット専門店を展開しました。筆者に家電アウトレット店の難しさを強く感じさせたのが、有楽町に2012年2月にオープンしたビックカメラ「アウトレット有楽町店」です。旗艦店であるビックカメラ有楽町店のすぐ隣りのJR高架下のスペースにオープンし、売場面積は750平方メートル。あらゆる家電の型落ち品や再生品が所狭しと圧縮陳列され、洗濯機も2~3段展示されていました。カトーデンキのアウトレットのように4~9割引きとまではいかないものの、お買い得な価格設定だったと記憶しています。

どうして家電アウトレット店はうまくいかないのか。第一にアパレルなどのように製造せず、メーカーからの仕入れ品であることが要因です。商品を仕入れて販売する場合、製造原価に比べて利幅は小さくなります。当然価格訴求力にも差が生じ、激安価格にすれば原価割れ販売になります。メーカーの過剰在庫を処分価格で仕入れる、あるいは処分費などのリベート提供を求めないと採算が取れません。原価割れ販売のための店舗を出す意味はなく、結局メーカー頼みになってしまう点も商売として難しい部分です。

加えて、売場の販売効率の問題があります。冷蔵庫や洗濯機などを展示するには大きなスペースが必要になります。展示商品が午前11時に売れたとしても、お客様が持ち帰ることができないので、閉店後あるいはお客様が少ない時間などに商品を搬出する必要があります。搬出するまでは、「売約済み」として販売できない在庫が売場の展示スペースを占有することになります。11時に売れたら閉店時間まで「死にスペース」になるので、売れれば売れるほど売場の販売効率が下ることになります。

また、家電という商品の特性上、いくらアウトレット商品とはいえ、商品の説明や配送設置工事の確認などの「接客」がどうしても必要になります。コストを抑えるために店舗人員をギリギリに少なくすると、店舗運営に無理が生じます。つまり、アウトレット業態は、セルフ販売で効率を追求しないと採算性がとれないのです。

カトーデンキのアウトレット店は結果から見れば「失敗」でした。しかし、加藤修一氏が「早い時期に実験してうまくいかないと分かったのは良かったよね」と話すのは強がりではありません。失敗を体験して学ぶことと、やりもせずに静観するのでは得られる経験値が異なります。ローコストオペレーションを実現する上で、できること、やってはいけないことを学べたのは決して無駄ではありませんでした。また、子会社化、FC化したグループ会社から「アウトレット業態の店舗を競合が作った。このままでは負けるからうちにもやらせてくれ」と要望が来ても、体験に基づいた説得力のある否定ができます。

ポイントカード導入中止との共通点

さて、加藤修一氏と言えば、FCや子会社からの要望でポイントカードを導入しようとしたものの、運用開始直前になって取り止めたエピソードがよく知られています。

 じつはケーズデンキでも、グループ会社からの強い要望で、ポイントカードの導入を考えたことがあります。そのための設備も整え、その運用法を考える最終段階で「ポイント上乗せ分を、売価にどれくらいゲタを履かせればいいのか」という話になったのです。
 それを聞いていた私は、ポイントをつけるばかりに売価を高く設定するというような本末転倒なことには納得できず、土壇場で導入を取りやめました。
 すでにカードもつくり、機械も入れ、スイッチを入れればシステムが動き出す段階でしたから、準備に要した数千万円を棒に振ることになりましたが、お客様を惑わせるような商売をして信頼を失うよりはいい、と判断したのです。

加藤修一 著「すべては社員のために「がんばらない経営」」(かんき出版)より ※下線強調は研究所がつけたもの

アウトレット店での「やってみる」と、ポイントカードの「やらずに中止する」――相反することのように見えますが、実際には同じ物差しでの判断です。それが、引用した文章の下線部分が表現しているように「正しい商売を貫く」姿勢です。アウトレット店は「家電業界で常態化した返品をなくし低コスト経営を進める」ために挑戦しました。もっと儲けようという狙いではなく、メーカーと小売り双方が抱える業界の課題を解決し、正しい商売の実現につながるからこそ、挑戦する価値があったのです。

一方でポイントカードは、お客様に「安いと思わせる」テクニックです。ポイント付与で安く買えたように思わせて、実際にはポイントを使える場所が限定され、お客様は不自由になります。しかも、見せかけの安さを表現するためにシステム開発、運用にコストをかけ、だますような価格表示に工夫を凝らし続けるのです。これは「正しい商売」と言えません。著書で加藤氏は以下のように書いています。

「商売の基本は信用第一。うわべだけなく本当に信頼される店になることだ」
これは父の口癖で、噓の広告を毛嫌いしていました。

加藤修一 著「すべては社員のために「がんばらない経営」」(かんき出版)より

加藤修一氏が父・馨氏から学んだ「正しい商売」を、市場が大きく変化するタイミングでしっかり貫いたからこそケーズデンキの商売は発展し、子会社やFCなどの仲間が増えていったのです。アウトレット店も「正しい商売」を目指した挑戦だったからこそ、失敗に終わっても後悔がないのです。

学ぶ姿勢と正しく判断する力

組織というのは、「失敗したから悪い」「失敗した案を出した人は責任をとれ」といった評価をしがちです。しかし、そのような風潮が蔓延すると「挑戦しないほうが得」「新しいことを言わない方が評価される」あるいは「他人の新しい意見を否定するほうが偉い」といった大企業病にかかることになります。時代の変化、市場環境の変化に対応するためには「新しい意見」「新しい試み」を常に考え、正しく判断する力を養うことが欠かせないのです。

経営手腕というのは、販売現場で店長として高い実績をあげたり、本部でマネジメント職に就いたからといって、自然と身につくものではありません。過去から学び、挑戦して学び、成功から学び、失敗から学び、決して終わりのない学びを継続することなのです。創業家として会社を大きくした、加藤馨氏も加藤修一氏も弟の加藤幸男氏も、何ひとつ失敗せず常に成功し続けたわけではありません。一般人と違うスーパーマンだったわけでもありません。しかし創業精神として、常に「正しい商売」のありかたを考え、貫いてきたことがケーズデンキの「がんばらない経営」の精神を築きあげたのではないでしょうか。

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