ケーズの「社風」を伝える

「月刊IT&家電ビジネス」2008年6月号に関西ケーズデンキの井川留雄社長(当時)のインタビュー記事が掲載されています(ちなみに取材・執筆したのは投稿者です)。2004年にギガスケーズデンキは八千代ムセン電機を子会社化します。社名を関西ケーズデンキに改め、2008年4月1日付でケーズホールディングス取締役兼関西ケーズデンキ専務だった井川氏に社長に就任します。井川氏は1971(昭和46)年にカトーデンキに入社した生え抜きで、八千代ムセン電機創業家から経営のバトンを引き継ぎます。もっとも、2005年6月に井川氏が関西ケーズデンキ取締役に就任して以降、創業家は経営に「ほとんど口出ししなかった」そうです。

インタビューは、井川氏が関西ケーズデンキの社長に就任したタイミングで行われました。当時筆者が取材、執筆したときには気づきませんでしたが、研究所を立ち上げた今改めて記事を読むと、実にケーズデンキらしい、創業精神にあふれた発言を井川氏はされています。そのような発言をいくつか紹介しましょう。

——八千代ムセンがケーズとの事業統合を決めた背景には、競合激化による業績不振があったと思うが、苦戦した理由は?
井川 商品を販売するカはあったと思う。スケールメリットがなかったことが大きいのではないか。
——当時、売上高や経常利益など表面上の数字は悪くなかった。
井川 そう。だからこそ、当初はケーズに対する反発も強かった。店長や本部の人でさえ、なぜ自力でやっていけるのに、ケーズと組まなければならないのか、という雰囲気があった。
——その意識をどう変えた?
井川 そこは、やはり皆と話し合うということだ。八千代ムセンから本社に異動した人間もいたので、財務状況などの実態について社員がだんだん理解していった。今は皆、ケーズと一緒になってよかったと喜んでいる。
——各店舗を積極的に回って、コミュニケーションを図った?
井川 そうだ。最初に赴任した際に、私がここに来た意味は何だろうかと考えた。私はケーズの社歴も長いので、おそらくはケーズの社風を皆に伝える役目なのだろうと。だからこそ、コミュニケーションを大切にしてきた。最初は関西の社員にも、反発心や不安があったので、あまりケーズ色を押し付けないように気をつけた。ダメなことはダメというが、どちらでもいいようなことは、ある程度大目に見て、自分でやらせるようにした。

リック刊「月刊IT&家電ビジネス」2008年6月号より 以下同

M&Aで一緒になったとはいえ、ケーズデンキと八千代ムセン電機はもともと別の会社です。「お客様のために」という考え方はどの会社でもうたっていますが、経営者の考え方、会社が成長して来たプロセスが異なれば、当然「社風」は異なります。社風という言葉はよく使われますが、実は大きな深い意味を持つキーワードです。有価証券報告書などで「事業の概要」「経営方針」などで説明される内容、あるいは「業績説明」などは、あくまで事業の概要や結果をまとめたものにすぎません。さらには、「社是」「コーポレートアイデンティティ」なども明文化(文書化)された会社のあり方を表現したものです。

しかし、「社風」は別物です。会社の経営方針、あるいは経営思想に基づいて、従業員が行動し、組織として評価判断してきた過去の経験を蓄積した結果生じる、集団の「暗黙知」(明文化できないノウハウ)です。上司が「こうしなさい」「こうあるべきだ」と言葉で指示をしても、必ずしも従業員がその通りに行動するとは限りません。ネガティブな社風が蔓延していれば、どのような指示が出ても従業員はネガティブな判断や行動をとります。厳しいノルマとルールで労働生産性を高めようとしてもうまくいかないのは、罰を恐れた従業員が自己保身的な行動に走るためです。同僚のことは他人事、自分さえよければいい——こんな社風になれば、いくら個人の営業成績がよくても、会社全体としての生産性は低下します。さらには、お客様に対する態度も「とにかく買ってもらえればOK」となり、無理な販売が多くなり、会社としてのイメージも低下します。

逆に優れた「暗黙知」が確立されていると、明文化されたルールに該当しない状況が発生しても、「当社としてはこうするべき」と正しい行動がとれます。人間は集団生活する生き物ですから、周囲の行動や考え方に影響されます。周囲の多くの人が「正しい」と思われる行動をしていれば、「正しくない」行動は目立ってしまうため、自然と抑制されます。社員が漠然と感じている「この会社はこういう会社だ」という意識が「暗黙知」であり、「社風」としてあらわれるのです。社風は指示やルールでコントロールできるものではないからこそ、井川社長(当時)は頭ごなしに指示するのではなく、「コミュニケーション」によって自身の経験や思いを伝えることを大切にします。

——05年10月に赴任して、まず変えなければと思ったことは?
井川 やはり社風だ。両社では、社風が大きく異なる。どちらかといえば、ケーズが独特という面もあると思うが。
——具体的には?
井川 八千代ムセンは個人の数字を重視する成果主義。売り上げがよければすぐ店長になれ、給料も上がる、だから頑張ろうという意欲は強い。しかし、売れる人だけが売ればいいという風潮にどうしてもなりがちだった。
 一方、ケーズは、加藤社長が常々言っているように、無理売りなどはしないし、売り上げ数字ばかりを追うようなこともない。全体として売り上げが上がればいいという考え方なので、個人の数字はあまり重視しない。
——成果主義で高い給料をもらっていた人には不満も出そうだ。
井川 実際、八千代ムセンの給与体系で給料の良かった人が「給料が下がったから」と、かなり辞めたという話を聞いた。ただ、基本的には給与体系の違いで、金額はそれほど変わらないと思う。成果主義なら毎月売った分が翌月の給料に反映される。一方、ケーズは半年なり1年なりのボーナス強化というスタイルだ。現在も、現場の士気を考えて、給与体系の一部に歩合制を残している。
——優秀な人材をさらに伸ばすのが一般的だと思うが。
井川 目先の数字を迫いかけると、どうしても“売りたい売りたい”となり、顧客の気持ちを大切にできなくなりやすい。大切なのは、長い目で見た上で、お客様が満足し、再び来店していただけるかということ。「目先の損得で動くな」というのがケーズの考え方だ。だからこそ、DMも打たないし、自然に売れればいいという姿勢を取っている。

ケーズデンキの「社風」を井川社長は分かりやすく言葉にしています。これまでノルマや成果報酬に追われていた従業員に、「ケーズデンキでは何を一番大切にしているのか」をまず伝えます。お客様の気持ちに寄り添い、満足していただくことで、無理な販促を打たずとも「自然に売れる」ようになるのが理想。だからこそ、ノルマや個人主義には弊害があると説明し、理解、納得を求めます。押しつけではなく、店を回り、ときに酒席なども設けて、社員が納得するよう、積極的にコミュニケ―ションを図ったといいます。

——関西の家電量販店では残業代未払いなど、労働環境について問題になる事例が目立つ。
井川 八干代ムセンに限らず、数字を追いかける文化はあるかもしれない。実際、ケーズと一緒になって社員が一番喜んだのは、しっかり休みが取れることと、サービス残業がないということだ。
——ちゃんとした生活ができないと、笑顔で接客などできない。
井川 ケーズの「社員を大切にする」というのは、まさにそういうこと。実際、笑えない話だが、ケーズになってから離婚率が大きく下がったと言われる。家族の方も本当に困っていたと思う。やはり家庭あってこその仕事だ。
——とはいえ、目標数字があると、店長もなかなか休めないし、従業員のシフトも厳しくなる。
井川 数字が悪ければ店長を下ろされる、それが恐くて頑張りすぎてしまう。無理をしなくても、数字を上げられるということを、実現させていく仕紐みが大切だ。

さらには、個々人の営業姿勢を変えるだけでなく、ケーズ流を徹底することで、社員全員の生活の質を向上させることができるのだと説明します。家族を犠牲にするような働き方は長く続けられません。家族が喜ぶような働き方が実現されてこそ、社員が「やる気」になり、中途退職することなく、安心して長く勤め続けられる会社になるのです。言葉だけで説明しても伝わりません。実際に組織の運営や評価方法が変わり、多くの社員が「メリット」を実感するようになってはじめて「伝わる」のです。

冒頭で触れましたが、井川社長は1971(昭和46)年にカトーデンキに入社しています。ちょうど有限会社加藤電機商会が「有限会社カトーデンキ」に商号変更した年で、翌年に駅南店(現在本社ビルを建築している場所にあった最初の支店)がオープンします。ちなみに加藤修一氏が入社したのは1969(昭和44)年です。井川氏は、加藤馨社長時代から、加藤修一氏が経営を引き継ぎ、会社を大きく成長させてきた過程を身をもって体験してきました。ですから、これらの発言も、教科書的に学んだ知識ではなく、創業家の教えがいかに会社としての行動、そして実績につながってきたかを自身の経験に基づいて説明しているのです。だからこそケーズ流という「異文化」に接した元八千代ムセン従業員たちに対しても説得力があったのです。

この会社に入った幸せをみなに伝えたい

インタビューは、生え抜きである井川氏自身についての質問で締めくくられています。雑誌記事では文言を手直ししているため、少々硬い表現になっていますが、今回はあえて当時のインタビューの発言をそのまま紹介しましょう。

――最初にこの家電販売という業界に入ろうと思った動機は?
井川 給料が高かったから。私はね、人と話すのが大嫌いだったんですよ。
――でもお店は人と話すじゃないですか。
井川 ですから私、配達ですから、入ったの。その時、カトーデンキで分業制にする時だったんですよ、修理とか販売とか。それで配達募集ってなっていたから、それで配達、ああ給料もいい、じゃあいいやと。そしたら(※補 お届けした商品について)説明しないといけないとなってね(笑) そこまで考えていなかった(笑)
 私が入社したとき、加藤社長が1年前(※原文ママ)に入っていましたからね。だからそういう意味で私が使いやすかったんでしょう。昔はみんな年も上で、社歴も長い。私は年下で使い勝手がいい、だから加藤社長とアンテナ設置とか、そういうのにしょっちゅう行ってましたよ。
――加藤さんも今のケーズに繋がる流れをよく作ってこられましたよね。一時期はセルフを重視したガレージ店舗の実験などもされたし。ああいった時のノウハウが今も残っているんでしょうか?
井川 残っているでしょう。それはずっと引き継がれていますよ。
――そういったセルフ店舗のノウハウと、お客様との距離を知覚する工夫、それが融合したのが今のフォーマットかなという気がしたんで。しかし、本当にケーズの歴史をずっと見てこられたんですね。
井川 カトーデンキに入って本当に幸せでしたよ。こんなに大きくなるとは夢にも思ってなかったし。どんどんどんどんいいふうに行って。それをみんなに分かって欲しいし、そういうふうにしてあげたいなという気持ちが強いんですよ。どっちかっていうと。
――子会社化された会社の上層部の方なども、最初は自身の立ち位置などに戸惑われるでしょうけど、理解されるにつれ、そういった部分についても納得されてくるんでしょうかね。
井川 だと思うんだけどね。

上記インタビュー記事の取材テープ起こし原稿より
月刊IT&家電ビジネス2008年6月号 関西ケーズ井川社長インタビュー記事
「ケーズに入社して幸せだった。この思いをみんなに伝えたい」という姿勢が、M&Aで仲間になった社員の心に響く

「こうしなさい」「こうあるべき」という上からの押しつけではなく、「入社して自分は本当に幸せだった。みんなにもその思いを伝えたいし、同じようにしてあげたい」という強い思い。言葉では引き継げないこのような思いこそ、「がんばらない経営」という創業精神のバトンなのでしょう。バトンを受け継げるか、引き継げずに別の会社になり果てるのかという分岐点は、このような思いを伝え、引き継ごうとする人がどれだけ社内にいるかにかかっているのでしょう。

会社の「資産」というのは、時価総額や総資産、総従業員数など目に見える「有形資産」だけでなく、目に見えない「無形資産」があり、その代表が「社風」です。「社風」は「暗黙知」であり、明文化できないからこそ、競合他社が知っても容易に真似できない強い競争力になるのです。経営指標や営業施策などを用いて「我が社の経営は盤石です」と説明する姿は多くの企業で見られます。経営指標が良ければ誰からも非難されにくく、わかりやすい営業施策や競合対策は社内から反対も出にくいものです。しかし、数値指標や経営方針、販促を中心とした営業施策は、真似しようと思えば真似できます。逆を言えば、手の内を知られて真似できるような施策は、本当の差別化戦略ではないということです。

井川氏のインタビュー記事は、加藤馨氏の残した言葉や加藤修一氏が語ってきた経営思想と見事なまでに一致しています。「こう答えるのがケーズ流」などと考えるのではなく、ごく自然に発言しています。このインタビューは、創業精神の継承において何が大切なのかを教えてくれます。創業者の言葉をただ伝えるだけでは、創業者の思いや精神まで引き継がれません。「従業員を大切にする」という考え方ひとつをとっても、離職率や有休消化率、残業時間などの指標が、世間の求める基準をクリアしてさえいれば、問題ないというわけではありません。実際に働いている従業員が、会社に大切にされていると実感し、「この会社に入って幸せだった」という思いを抱き、次の世代へと伝えていくことが、本当の意味での創業精神の継承となるのです。

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