『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~3

第二章 創業者・加藤馨氏との不思議なインタビュー

 私は『ヤマダ電機の品格』を上梓したのち、次の新しいテーマ(金融自由化)に取りかかるつもりでいた。しかしどうしても、ケーズデンキ社長の加藤修一氏が掲げる「がんばらない経営」が気になってしまい、他のテーマに取り組むことに躊躇いが生まれていた。何故かというと、加藤氏の「がんばらない経営」が創業以来60年以上もケーズデンキに「増収増益」をもたらしたというなら、当時58歳だった私は30年近い経済ジャーナリストとしての私の企業観を見直す必要があったからだ。

 たとえば、企業の営業セクションで「強い」と評価される営業力は、「極寒のアラスカで氷を売り、灼熱のアフリカ大陸で石油ストーブを売る」強引な販売手法であり、それゆえそれを実行できる営業マンは「営業の鏡」と呼ばれるのだ。つまり、消費者が必要としない商品を売りつける、売り込めることが「強い営業」としての評価なのである。当然のことであるが、現場の営業マンには過度の負荷が課せられることになる。いつでも代わりがきく消耗品のように扱われ、酷使されるのだ。そしてその戦いに生き残った者だけが、出世するのである。

 企業によって違いがあるかも知れないが、当時の私の「強い営業」の理解は、概ね前述のようなものであった。しかも加藤氏の「がんばらない経営」で企業がケーズデンキのように成長できるなら、営業マンに過度な負荷を与えることなどまったく必要ない。言い換えるなら、それまで評価されていた「営業力」などまやかしに過ぎないということだ。

 私は、加藤氏の「がんばらない経営」を実際の営業現場で確かめたい、もしそれが真実ならどうやって生まれたのか、その経緯を知りたいと強く思うようになっていった。そこで懇意にしていた経済誌の編集長に私の思いを打ち明け、加藤社長の「がんばらない経営」の記事を書かせて欲しいと頼み込み、4回の連載が決まったのだった。

 創業以来60年以上も増収増益を続けたという実績の前には、加藤氏の「がんばらない経営」に私が異論を唱えようにも何の説得力もなかった。それでも諦めきれなのは、私の仕事柄なのか、たえず疑うことから始める職業病のようなものかも知れない。そんなわけで、ケーズデンキでは店長でも定時帰宅できるし、日常的に行っているという説明を私自身で確認したいと思い、都内の店舗をアポなし訪問したのだ。結果は、私の玉砕だった。店長は定時帰宅し、代わって副店長が対応すると言われたが、丁重に断って店をすぐに立ち去ったのだった。詳細を知りたい方は、『正しく生きる』に詳述しているので参照してほしい。

「がんばらない経営」の確認作業は一時が万事、こんな調子で私の玉砕の連続であった。それでも嫌な気持ちになったことも、加藤社長をはじめケーズデンキの社員の方々とのインタビューで何かごまかされたといった悪い印象を持ったこともなかった。私の間違いというか、それまでの「常識」と信じていたことが正しい考えではないと指摘されただけであって、私の人格まで否定されたわけではなかったからだ。逆に、なぜか清々しい気持ちになったことをいまも覚えている。

 たぶん、私も実際のところ、いわゆる業界の「常識」やらを信じていなかった、信じたくなかったものの、周囲に流されてそう思うようにしていたのではないか。それを正面から正す経営者と企業に出会えたことで、ほっとしたのだと思う。

2006年10月当時の加藤修一代表取締役社長の画像
2006年10月当時の加藤修一代表取締役社長

 経済誌での連載は「ケーズデンキ加藤修一社長の『がんばらない』経営」のタイトルのもと、2009年8月号から11月号まで続いた。連載終了後、私は加藤社長とケーズデンキの「がんばらない経営」を単行本として残したいと強く思うようになった。そこで私は、連載記事ならびに使わなかった取材内容を単行本化の土台にしつつも、必要に応じて追加取材を行える執筆態勢を整えたのだった。

 とくに創業者・加藤馨氏のインタビューは、単行本化には欠かせなかった。というのも、加藤社長の「がんばらない経営」ももとを正せば、創業者精神や創業の理念を発展させたものに他ならないと私は考えていたからだ。つまり、「がんばらない経営」のルーツを辿れば、創業者の加藤馨氏に行き着くしかないのだ。それゆえ、私は単行本化の作業に着手すると、まもなくケーズデンキに対し、経営の第一線から退き名誉会長に就任していた加藤馨氏へのインタビューを申し入れたのである。

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