『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~4

 創業者・加藤馨氏へのインタビューは、2009(平成21)年10月に2度にわたって行われた。場所は、水戸市柳町の旧根積町本店をリニューアルした加藤氏のオフィスであった。最初のインタビューで加藤氏から受けた印象は、それまで取材してきた創業者や経営トップとはまったく違う異質な、いやむしろ不思議な経営者といったものであった。というのも、私の素朴な質問に対し私が得心するまで何度でも繰り返し、しかも我が子に噛んで含めるように分かりやすい説明を心がけてくれたからだ。その間の加藤氏の態度は、目上だから創業者だからといって、偉ぶることも相手を威圧するようなところもなかった。むしろ私をインタビュアーとしてだけではなく、ひとりの人間として接していただいたように感じた。

 インタビューでは、加藤馨氏は生まれ育ちから苦しかった軍隊生活、そして創業から大手家電量販店にまで成長したケーズデンキの歩みならびにその経営(手法)を淡々と語ったが、印象的だったのは私の質問に疑問を抱いた時には率直に「それは、あなたの考え方が間違っている」と指摘したうえでその理由を明確に述べられたことである。いうならば、私のインタビューは加藤馨氏から叱られながら行われたようなものだ。

 しかし私は、加藤氏からの間違いの指摘に少しも嫌味も感じなかったし、バカにされたとも思わなかった。なぜなら、加藤氏が挙げた理由は私にも十分得心がいくものであったからだ。インタビューそのものは、私にとって非常に新鮮で、かつ彼の指摘は目から鱗の連続であった。

 そして私が「まさに目から鱗とはこのことだ」と得心させられたのは、加藤氏が言明した「会社は株主だけのものではない。そこで働く社長以下全従業員のものです」という言葉だった。というのも、その頃には戦後の高度経済成長を牽引してきた日本企業の強みのひとつだった「日本的経営」が、グローバル経済の時代を迎え「時代遅れの代物」と見なされつつあったからである。その代表的な見解のひとつは、「国際企業」ソニーの創業者・盛田昭夫氏が1992年に月刊総合誌『文藝春秋』に発表したレポート「『日本型経営』が危い」であろう。

 それに対して、代わって持て囃されたのはアメリカの経営(手法)であった。

 その象徴が「会社は株主のもの」という考えである。つまり、会社経営の目的は株主に高い利益を還元することであり、常にそれを最優先させることだというのだ。それゆえ、株主にとって会社そのものも他の商品と同様に売買の対象に他ならない。たとえば、業績悪化の改善策としてコスト削減が急務と大株主の機関投資家が判断したら、従業員のリストラを躊躇う経営者に対する彼ら大株主からの批判・叱責は容赦なかったし、それに抗える経営者は皆無と言ってよかった。実際、家族主義経営と言われたパナソニックやエンジニアを大切にしてきたソニーでさえも、大幅な業績悪化から万単位の従業員のリストラに踏み切っている。当然、社会からは厳しい批判を浴びたものの、大株主の機関投資家からは高く評価された。

 当時の私は、日本的経営を一方的に「負の遺産」と見なしアメリカ的経営になびく風潮には、違和感しか覚えなかった。ただ世界がグローバル経済の時代を迎えた以上、日本企業が生き残っていくにはアメリカ的経営を受け入れるしかないのかも知れないと自分を納得させていた。

 そのような割り切れない気持ちを抱えていた時に、加藤馨氏の「会社は株主だけのものではない。そこで働く社長以下全従業員のものです」という言葉に出会ったのである。その瞬間、私の心のもやもやした何かが一気に晴れたことをいまも覚えている。

 私が加藤氏の言葉に得心したのは、カトーデンキ販売を設立する際に経営者(創業家)側と社員側の出資額を同額したこと、そのことが大手家電量販店へと成長させる原動力になったことで、その「正しさ」がすでに立証されていたからである。

 ただそれでも、私は加藤馨氏に改めて問い直したいことがひとつあった。

 それは、なぜ経営(創業家)と社員側の同額出資にこだわったのか、どうしても同額出資でなければならなかった理由は何か、である。というのも私には、液晶パネルの開発製造に立ち後れたソニーが自社生産を諦めて、韓国のサムスンと合弁で製造子会社を立ち上げたさい、出資比率の少なかったソニーがサムソンに良いようにあしらわれていた経緯を知っていたからだ。両社の出資比率の差はわずか1%だったが、その1%が製造子会社の経営判断などで絶えずサムソン側を優位に立たせていたのである。

 逆にいえば、最低でも51%の株さえ持てば、会社の経営に責任を持つ立場になれるのである。それゆえ、私は加藤馨氏に対し、新会社であるカトーデンキ販売の経営をそれまで通り順調に運営していくためには経営側(創業家)が51%の株を保有すべきではなかったでしょうか、それが創業家の経営に対する責任ではないでしょうか、と問い直したのである。

 私の問いに対し、加藤氏は「そのように考えること自体が間違っています」と一蹴したうえで、さらにこう説明したのだった。

「出資額を半々にしたのは、新会社をお互い対等にやっていこうと決めたのですから、当然のことです。最初からこちら(創業家)が株式を多く持つと経営に対する支配力が強くなってしまうでしょう。お互い対等でと言っておきながら、こちらが株式を多く持てば社員は(経営側を)信じてくれるでしょうか。そもそも会社は社長以下社員全員のものなんですから、それでみんなが幸せになることが大切なのです

 ただただ私は、加藤氏の「正論」に頷くだけであった。

 それにしても、加藤氏は「悪意を持つ社員」が会社の経営権を奪うことなど考えもしないのだろうか。戦地での戦争体験があれば、最後は戦友といえども信じられない事実を見聞してきたはずだ。戦地では誰も自分を助けてくれないし、頼りになるのも信じられるのも自分だけという現実に「人間不信」に陥ってしまったケースは珍しくない。なのに、加藤氏は人間は信頼に足る、信じられる存在と考えているようである。言い換えるなら、加藤氏は「信頼の経営」を実践している経営者でもあるのだ。

 このような加藤馨氏とのインタビューを経て、私の長年の経済ジャーナリストとしての「常識」は否定され、修正されていったのである。そして二度目のインタビューが終わった頃には、加藤氏の評伝を書いてみたいと思うようになっていた。

 ちなみに、当時の経営陣からも加藤氏の決定に対する反論はなかったという。社長で長男の修一氏と専務だった次男・幸男氏の二人も「父から相談も何もなかった。父から『こうするよ』と言われた時も抵抗感はなかった」と受け入れていた。

 かくして私は、書き下ろし作品『「がんばらない」経営 不況下でも増収増益を続けるケーズデンキの秘密』(草思社、2010年1月31日)を上梓したのだった。

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