研究所メンバー

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~3 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~3

第二章 創業者・加藤馨氏との不思議なインタビュー  私は『ヤマダ電機の品格』を上梓したのち、次の新しいテーマ(金融自由化)に取りかかるつもりでいた。しかしどうしても、ケーズデンキ社長の加藤修一氏が掲げる「がんばらない経営」が気になってしまい、他のテーマに取り組むことに躊躇いが生まれていた。何故かとい…
『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~2 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~2

第一章 私とケーズデンキの出会い  『正しく生きる』を上梓する前に、私には『「がんばらない」経営』(草思社、2010年)というケーズデンキの経営を論じた著作がある。その意味では、『「がんばらない」経営』は私に『正しく生きる』の取材・執筆へと駆り立てるきっかけとなった作品でもある。そうした背景を踏まえ…
『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~1 寄稿

『正しく生きる』の 取材余話(立石泰則氏 寄稿)~1

はじめに  今年(2023年)の3月24日、私は『正しく生きる—ケーズデンキ創業者・加藤馨の生涯』を岩波書店(東京・千代田区一ツ橋)から上梓した。私にとって、初めての本格的な評伝である。しかも私が2021年3月に取材をスタートさせた頃は、わが国でも新型コロナの感染拡大が深刻になっていた。その意味では…
新連載のお知らせ お知らせ

新連載のお知らせ

明けましておめでとうございます。 ホームページのほうは長らく更新が止まっていますが、加藤修一氏による創業精神勉強会の開催など、2023年も充実した創業精神の研究、発表という活動を行ってきました。2024年も引き続き積極的に活動していきますので、どうぞよろしくお願いします。 さて新連載のお知らせです。…
今後の活動について 活動報告

今後の活動について

更新が滞り申し訳ありません。ご報告が遅くなりましたが、加藤馨経営研究所の今後の活動についてご報告します。 2020年8月に株式会社加藤馨経営研究所が設立され、「がんばらない経営」、なかでも創業者加藤馨氏の経営思想や人生について研究してきました。研究所長として、会社設立前から柳町事務所に足を運び、古い…
加藤馨会長の出店地探し 会社の歴史

加藤馨会長の出店地探し

加藤馨氏の残した資料や書籍を調べていると、研究を開始して1年以上経った今でも新たな発見があります。事務所に置かれている書籍はひと通り目を通したつもりでしたが、先日加藤馨氏に関する新たな記述を事務所で発見しました。 書籍名は『自分史 この石が食べれたら ──モンゴル抑留──』。著者の酒井武雄氏は、19…
加藤馨氏と水戸の結びつき 会社の歴史

加藤馨氏と水戸の結びつき

加藤馨氏は神奈川県の千木良村出身です。津久井郡千木良村は、1955(昭和30)年に市町村合併で津久井郡相模湖町となり、現在は神奈川県相模原市緑区千木良となっています。千木良村の農家に生まれ、成績優秀で鎌倉の師範学校への入学が決まっていた加藤馨氏ですが、父が急死したため進学をあきらめます。家業である農…
暗号班への配属が人生の転機に 会社の歴史

暗号班への配属が人生の転機に

ソ満国境で発生したカンチャーズ島事件に参加して間もなく、加藤馨氏は教導学校(下士官を養成する学校)の学生募集に応募し、簡単な面接を経て入学を許可されます。当時の教導学校は豊橋(愛知県)にあり、1937(昭和12)年9月20日に任地を出て、9月25日に甲府の部隊に帰還します。10月1日の教導学校入学を…
入隊して最初の前線 会社の歴史

入隊して最初の前線

加藤馨氏は父が急死した後、入学が決まっていた師範学校への進学をあきらめ、家計を助けるために長兄の農業(百合や野菜の栽培)を手伝いました。約5年間農業を手伝いましたが、このままでは将来の展望もなく、次兄の勧めもあって1936(昭和11)年8月に陸軍の入隊検査を受けます。検査に合格し、翌年1月10日に甲…
戦争は悲惨、二度と起こしてはいけない 会社の歴史

戦争は悲惨、二度と起こしてはいけない

新年明けましておめでとうございます。本年も当研究所をよろしくお願いします。さて、新年最初の記事は、加藤馨氏がある日突然幹部社員を集めて語った「戦争」に関するエピソードです。 本社幹部社員を急遽集めて語る 2012年、94歳の加藤馨名誉会長はある日、加藤修一会長(当時)に本社の役員、執行役員をはじめと…