加藤馨会長の出店地探し

加藤馨氏の残した資料や書籍を調べていると、研究を開始して1年以上経った今でも新たな発見があります。事務所に置かれている書籍はひと通り目を通したつもりでしたが、先日加藤馨氏に関する新たな記述を事務所で発見しました。

書籍名は『自分史 この石が食べれたら ──モンゴル抑留──』。著者の酒井武雄氏は、1922(大正11)年茨城県八郷町出身ですから加藤馨氏の5つほど年下です。昭和18年に満州・独立守備隊に入隊し、終戦時にモンゴルに抑留され、昭和22年に復員し農業に従事。その後15年ほど会社勤めした後、宅地建物取引業(自営)をされていた方です。

書籍が発行されたのは2002(平成14)年3月30日。発行出版社名がなく、印刷会社の名前しか記載されていないので自費出版書籍と思われます。著者の酒井氏は、ケーズデンキ水戸本店に加藤馨氏宛てに書籍を預け、加藤馨氏は同年4月に受け取りました。「H.14年5月21日 読切りとなる」と書かれています。

なにはともあれ、少々長くなりますが、さっそく本書内の加藤馨氏に関する記述を引用しましょう。

ケーズデンキ

「ケーズデンキ」と社名が変わる前「カトーデンキ」の会長さんが店に来た。
「石岡市内に大型店舗の用地を探しているのですが」
と、丁重な言葉づかいだ。今では「ケーズデンキ」といえば県下で知らぬ人はいないが、このころ石岡あたりでは、まだ「カトーデンキ」の名はあまり知られなかった。
 私は六号国道付に適当と思われる土地があったので説明を始めた。
「六号国道付は良くない。石岡の第二級道路付がよいのですが」
「六号国道付なら宣伝効果もよく、大型店舗としては一番よいと思いますが、どうして国道付は良くないのですか」
「国道は交通量が多くて、店に出入りが容易でない。店にお客さんが入りやすいこと、これが第一の条件となるのです」
 なるほど実際に経験したことがある。特に交差点の近くなどは出入りが非常に困難だ。
 その日は会長さんの希望する適当な物件が無かったので、案内もできなかった。早急に物件を探すことを約束して別れた。
それから八方手をつくし、第二級の道路付土地を探しあて現地を見てもらう。
「面積が少し小さいけれど、外に満足するような物件がなければやむを得ない。ここはどうにか納得できる範囲だから契約を進めましょう」
 土地売買契約を済ませた後、いろいろの話をしている中で、次のように話してくれた。
「私は新規に店を出すときには、まずその土地の市役所に行き、周辺のすべての状況を聞いてから、調査をして出店の可否を決定するのです。そこで地元の不動産業者で信用できる人を教えてもらいます。あなたのことも市役所で教えてもらいました」
「どなたが教えてくれたのですか」
「それは教えられません」
どなたか分からないけれど市役所の職員に感謝した。市役所での用事は窓口で済むことばかり、特別な知り合いもいない。石岡には大きい不動産業者も多くある。私など小さい方から数えたら早い存在であった。だれが教えてくれたのか、ただただ感謝するばかりであった。これからはより以上に、だれからも信用される仕事をしなければと心に誓う。
 用地の取得もすみ、店舗の建築設計書を見せてもらい驚いた。用地は南が大通り、東と北に道があり三方道路であった。図面では北側に建物ができるようになっている。これでは走行中の車から、建物は見えない。
「店舗を前の方に建て、駐車場は東と北の道路を利用したら有効ではないでしょうか」
「酒井さん。お客さまはわがままです。奥の方に駐車場があったのでは入ってくれません。一番入りやすい所を駐車場にしなければ駄目なのです。お客様は神様、神様が納得してくれないと商売にならないのです」
 「カトーデンキ」の会長さんには、その外にもいろいろのことを教えて頂いた。

酒井武雄 著「自分史 この石が食べれたら ──モンゴル抑留──」(印刷 有限会社豊印刷)
赤字は加藤馨氏が蛍光マーカーを引いた場所

石岡店出店は1983(昭和58)年7月。加藤馨氏がカトーデンキ販売社長の座を加藤修一氏に譲った翌年です。石岡店は、水戸市、勝田市に続く新規出店エリアで、本書でも「このころ石岡あたりでは、まだ『カトーデンキ』の名はあまり知られなかった」と書かれています。当時は、水戸市内で多店舗展開し、ようやく新規エリアへの出店を始めた時期。石岡店はカトーデンキ10店舗目で、新規出店エリアで成功するためのノウハウも決して多かったとは言えません。そのような時期に加藤馨氏がどのように物件を探して、何を重視して物件を選んでいたのか、うかがい知ることが出来る貴重な記述です。

まず興味をひくのが、市役所で地域の情報を仕入れるとともに信用できる不動産業者を教えてもらっていたということ。加藤馨氏は、社員を雇うようになった際にも職業安定所のアドバイスを聞き入れながら、求職者にとって応募したくなる条件(賃金や休日)を変更しましたが、出店地選びでも同様に市役所を活用していました。そして「信用できる」と紹介された業者を、会社規模を気にすることなく、訪ねている点も興味深い点です。会社の規模よりも、取引相手が世の中の人たちに信用されているかどうかを重視していたことが分かります。

店舗の配置や車で買物に来る際の利便性の考え方は、今では珍しくないかもしれません。しかし、書籍で描かれているのは、ようやく水戸市外への展開を始めたタイミングです。その時点で、カトーデンキの「あるべき出店」をしっかり把握していたことも加藤馨氏の慧眼と言えるでしょう。初めての支店である「駅南店」を1971(昭和46)年出店した際にも、開発されたばかりで何もないエリアで、周辺には店舗どころか住む人もなく、「あんな田舎に店を出して、もうかるわけがない」と言われました。当時の常識とはかけはなれた立地だったのです。しかし、加藤馨氏はモータリゼーションの到来を見すえ、広い駐車スペースを確保できると踏んでいました。実際、オープンすると車での来店客は予想以上で、結果的には大当りとなりました。車で来店する利便性──後にケーズデンキが郊外中心の出店でローコスト経営を実現していった戦略は、この当時すでに確立されていたのです。交通量の多い幹線道路沿いへの出店が目立っていた1980年当時に、加藤馨氏の出店戦略を聞いた酒井氏の驚きも当然といえば当然でしょう。

酒井氏が入隊からモンゴル抑留までの戦争体験、さらには戦後の事業、モンゴルでの遺骨収集など、波乱に満ちた人生を自著で振り返る中、「ケーズデンキ」という項目を設けるくらいに加藤馨氏は強い印象を残しました。加藤馨氏が経営に携わっていた当時、まだまだ家電流通業界は企業数が多かったこともあり、加藤馨氏個人をクローズアップした記事はそれほど多くありません。酒井氏が届けてくださった自費出版書籍も、今ではいくら調べても出てこず、ほぼ入手不可能です。しかし、その書籍の中に印象的な出会いとして、加藤馨氏の言葉ややりとりといったエピソードが残されていたことは、とても有難いことです。この書籍を執筆し、加藤馨氏に届けていただいた酒井武雄氏には本当に感謝しかありません。

カトーデンキ加藤馨会長が石岡市の出店地探しに訪ねて来たエピソードが紹介されている。蛍光ペンは加藤馨氏がひいたもの

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